日本人義勇兵の話は、日本でも大きく報道されて話題になり、ウクライナ大使館が募集を取りやめてから、その後についてはあまり知られていない状況である。
4月下旬のリビウ駅前にて、二人組の迷彩服を着たアジア人男性を見つけた。良く見るとその迷彩服には、日の丸が付いている。
話しかけると、当然ながら日本語で返事が返ってきた。彼らは、間違い無くウクライナまで来た義勇兵志願者だった。
20代の元自衛官Aさんは、採用・配属先が決まるまで、駅周辺や軍事施設で情報収集しているようだ。戦闘経験の無い者は、前線には配置されず、待機をしている。*4月時点
駅周辺には、他の日本人や、台湾・カナダなどの国旗を付けた迷彩服姿の志望者が歩いている。
現在も私が連絡を取っている義勇兵は5.6名おり、把握出来ているだけでも、10数名程ウクライナで活動している。志望者は様々で、元自衛官・ミリタリーマニア・YouTuberなどがいる。中には人道支援と両立を考えている者もいる。採用基準は、英語・ウクライナ語どちらかで80%の程度の意思の疎通が必須。軍歴よりも、語学が優先されている。そして語学同等に重視されるのが、強い意志。
義勇兵はウクライナ正規軍では無く、民生軍の領土防衛隊の外国人部隊に配属される。従って、処遇は正規軍と違い、武器以外の戦闘服や装備は自分自身で用意する必要があり、捕虜になった際も最悪死刑になる場合もある。早期に前線に赴き消息不明になった日本人義勇兵いる。
言語の問題で、選考落ちした日本人にも全く道が無い訳でも無く、6月頃から、ウクライナ人志願兵の不足により、日本人だけで小隊を作り、その中で1名通訳の出来る者が居れば認められると言う。7月4日時点では、日本人部隊(通称ニンジャ)を結成予定。現に東部の都市で訓練を受けている。
日本人部隊と聞くと、1942年、日系アメリカ人で構成されたアメリカ陸軍第442連隊戦闘団・ダニエル・イノウエ氏等を連想させる。彼らの活躍はアメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けた部隊でもあり、現在のアメリカ陸軍の授業にも必修課程となっている。果たして、彼らは歴史に名を連ねる事が出来るのだろうか。軍事は別として、日本人が国際社会において様々な活躍をされる事に対し、筆者は敬意を表します。そして、皆さん無事に帰国される事を願います。
取材・撮影 小峯弘四郎(コミネコウシロウ) 神奈川県出身 45歳
ロシアのウクライナ侵攻によって翻弄される人々の姿を記録するため、ウクライナと近隣諸国の取材を行う。以前は、商業カメラマンとして様々なジャンルの撮影を行い近年ではドキュメンタリー写真の撮影等を手掛ける。国内では伝統や自然と向き合う職人達、海外ではトルコ・クルドのテングベジ(吟遊詩人)、香港デモ(2019)、東京オリンピック反対運動(2021)等の報道取材。